〈〈 武岡の端っこを歩く 49 武岡五丁目30番地付近 〉〉
市道水上坂横井線に戻ってもう少し北西方面に足を進めてみます。
途中、特養施設の道向かいあたりで薮が途切れて遠くが眺められる所があります。( 写真矢印 )
ここから見えるのは明和三丁目や四丁目の県営住宅街。
その向こうには玉里団地や伊敷ニュータウンなどが見えています。
ここからさらに歩いていくと、武岡の北限に到達します。
小野町との境界になっているのが次の写真の場所。
いつも何気なく行き来していましたが、そこにあるのは武岡中学校の門です。
普段使われている門は別にあり、こちらはいつも閉ざされています。
武岡中学校は昭和63年に開校したのですが、当時私は武岡に住んでいなかったので、この門が何のためにあるのかさっぱり知りません。
学校を造成するのに住宅街を通らずに物資を運搬するための道だったのではと勝手な推測をしています。
それにしても、中学校をどうしてこんな通学に不便な武岡の隅っこに作ったのでしょうか。
市道水上坂横井線に戻ってもう少し北西方面に足を進めてみます。
途中、特養施設の道向かいあたりで薮が途切れて遠くが眺められる所があります。( 写真矢印 )
ここから見えるのは明和三丁目や四丁目の県営住宅街。
その向こうには玉里団地や伊敷ニュータウンなどが見えています。
ここからさらに歩いていくと、武岡の北限に到達します。
小野町との境界になっているのが次の写真の場所。
いつも何気なく行き来していましたが、そこにあるのは武岡中学校の門です。
普段使われている門は別にあり、こちらはいつも閉ざされています。
武岡中学校は昭和63年に開校したのですが、当時私は武岡に住んでいなかったので、この門が何のためにあるのかさっぱり知りません。
学校を造成するのに住宅街を通らずに物資を運搬するための道だったのではと勝手な推測をしています。
それにしても、中学校をどうしてこんな通学に不便な武岡の隅っこに作ったのでしょうか。