〈〈 武岡の端っこを歩く 36  水上坂 2 〉〉


前回の場所から緩やかな勾配を少しずつ武岡のほうに戻っていきます。

200910211406435608.gif昔ながらの道で、区画整理もままならず拡張の難しい道ですが、ことさら車の離合に難渋するのがこの場所。
一見すると川がないのに小さな橋が架かっていることは、車で行き来する多くの方が存知だと思います。
実際には、川はちゃんとこの下を流れていて、その上にコンクリートで蓋をしているだけなのです。
今回、そのコンクリートの上に立って写真を撮ってみました。
これまで、西田側 ( 写真の右側 ) だけにあると思っていた橋の親柱。
確かに、写真手前の武岡側は欠けてしまっているのですが、向こう側にはブロック塀の一部と化してしまっているもののちゃんと存在していることが分かりました。
小さいですけど石橋なんですよね。


200910211407225491.gifさて、この橋のすぐ近くに阿弥陀像があるのをご存知でしょうか。
明治の初めに鹿児島で吹き荒れた廃仏毀釈の影響なのでしょうか、お顔は潰されてしまっています。
昔、ここには阿弥陀堂があって豊富な水量を誇る井戸があったそうです。
また、妙円寺参りの行き帰りにのどの渇きを潤す場所だったとか。
武岡の住宅街が造成された影響で、往時の湧水とは程遠いものとなっています。
ここから道は勾配が徐々にきつくなりますが、この場所より上にある坂だから「水上坂」( みっかんざか ) と名付けられたようですね。
先述のコンクリートの下に水は確かに流れているのですが、もう少し上流に向かうと一滴の水の存在も確認できませんでした。

この付近は、鶴丸城を出て最初の宿駅であり、阿弥陀様の向かいには御装束之門と呼ばれる参勤交代時の休憩場所もあったそうです。

歩くにはちょっときつくて交通量の多い道ですが、散策したら興味あるポイントがいくつもありました。
皆さんにも一度は歩くことをお勧めしますし、歴史ある道として整備するのも面白いのではないでしょうか。
明日から始まる妙円寺参りに参加する方も、歴史を感じながら水上坂を登ってください。

次回からは武岡に戻って、端っこを歩き続けていきます。
連載16回目から続いていた一丁目を離れ、いよいよ二丁目に入ります。