野口内科 BLOG

  野口内科は鹿児島市武岡に開業して46年を迎えました。
  当ブログでは、当院からのお知らせ、医療・健康に関する情報の他に、近隣の話題、音楽・本のこと等を綴ってまいります。

    診療時間 午前  9:00〜13:00
         午後 14:30〜18:00 (金曜は〜18:30)
    休診   日曜・祝日・木曜午後
    電話   099−281−7515
    住所   鹿児島市武岡二丁目28−4
    院長   野口 仁

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         ▶▶▶ バス路線図

 思うこと・他

今年の1月17日で阪神淡路大震災発生から29年となります。

震災今年は元日に能登半島地震が起きました。
阪神淡路大震災以降、中越地震や東日本大震災、熊本地震など大きな被害をもたらす震災が続いています。
その都度、災害救助のノウハウが蓄積されて対応も迅速になってきてはいますが、それぞれで特色があり、その都度新たな課題も持ち上がります。
東日本大震災は津波被害が顕著でしたし、熊本地震は同規模の地震が二度起きました。

今回の能登半島地震では半島災害に尽きるのではないかと思います。
アプローチが限られる半島の交通網が寸断された結果、いまだに被害の全貌は明らかではありませんし、災害物資も満足に行き届いていません。
海からのアプローチも地形の変化で困難を極めています。
救済の手が届くまでの3日間を凌げる水や食料を確保しておこう、というのがこれまでの考え方でした。
鹿児島も2つの半島が主体の県ですから、3日間のストックでは足りないのではないかと思います。

そしてもう一つが元旦であったこと。
医療をはじめ、行政サービスなど最も手薄な時期です。
発生日や時間帯によっては、十分なケアが受けられないケースもあり得ることは記憶に留めておきましょう。


噴火日々の震災の情報をただ眺めるだけでなく、自分の地域で起きたらどうなるかを考えておくのは大事です。
1月12日には地元紙で桜島大正噴火から110年の特集が組まれていました。
噴煙が長期に続いたことや、地震の発生に伴うがけ崩れの情報なども盛り込まれていました。
仮に、大噴火の際に台風の暴風域に数日間入ってしまうという最悪の事態が起きたら、といった想定もしておくべきではないかと思います。
 

切手郵便料金の値上げが発表されました。
来年秋ごろに封書が110円、葉書が85円になるようです。

私が物心ついた時の郵便料金は、封書/葉書 が 15円/8円 でした。
1972年に 20円/10円 となった後、わずか4年後の1976年に 50円/20円 と大幅に値上げされたことがあります。
その後は1981年に 60円/40円 ( 経過措置で一時的に30円 ) 、1994年からは 80円/60円 が軸で、消費税の改定に合わせ下一桁が微妙に変わっただけでした。

ネットの普及で郵便物の取扱量が減ってきたとはいえ、我々は患者さんの診療情報のやり取りを中心に郵便に頼っている部分がまだまだ多い職種です。
今回の約3割の値上げはちょっぴり痛いですが、年賀状の書き損じなどを切手に交換するなど自衛策を講じておこうと思います。
ちなみに、出すつもりのない往復葉書の返信部分を切り取って郵便局に持って行っても手数料を差し引いて切手に交換してくれますよ。

人工知能いろんなところで話題となっている Chat GTP。
上手に活用しようとあれこれ模索する動きも目立ちますし、逆に使用の規制も始まっています。

医療分野でもいろんな面での有用性が指摘されています。
私が活用するとしたら、膨大な医療情報の要約と患者さんの紹介状や意見書などの作成でしょうか。
緊急で紹介状を書く際には、外来診療をストップせざるを得ない場面があります。
慌てていると変なタイプミスを起こすこともしばしば。
そんな時に自動的に文章を提案してくれると、診察前の患者さん方お待ちいただく時間を減らす効果が期待できるのではないかと思っています。
また、ゆくゆくは「○○さんの病歴とデータを××病院に送って」と言うだけで、情報の転送が完了するような仕組みができるかも知れませんね。

AIの分野は今後も進化していくでしょうが、長所・短所を理解して、賢く扱える人間でありたいと思っています。

また、1月17日がやって来ます。
今年、阪神淡路大震災にから28年となります。

私にとっては昨日のことのように思い出される大災害ですが、もうそんなに月日が経ったのかと感慨にふけることもあります。
多くの犠牲者を出し、都市機能が麻痺し、生活基盤が失われた大震災。
これまでも繰り返してきましたが、どんなに古くなっても経験を語り継ぐことが重要だと思っています。

神戸新聞のサイトには、ラグビー神戸製鋼のグランドが液状化したことを元にした記事が掲載されています。( → こちら )
新人が入団すると1月17日のことをまず教えられるのだそうです。
そして19年度からは、毎年メッセージ動画を作っているのだとか。
これは本当に大事なことで、これからも続けて欲しいと思います。

スタジアム

そう言えば、野球のオリックス。
震災のあった1995年は「がんばろうKOBE」のロゴが入ったユニフォームを着てリーグ制覇、翌96年は日本一にも輝きました。
昨年はそれ以来26年ぶりの日本一で、元気づけられた当時のことが思い起こされました。
今年は何かいいことがきっとあるでしょう。 

急激な円安が進んで、賃金や物価など日本と他の先進国との様々な差があらわになってきました。
ビッグマックやiPhoneなどの価格比較でも日本はかなり安いことも報道されていましたね。

値上げ近年、日本はとにかく物の値段を上げないことに邁進してきました。
いいものを安く手に入れるのが当たり前のように染みついてしまい、数年前にはユニクロが価格を上げたらたちまち売り上げを落とすという事態もありました。
コンスタントに値を上げたものはタクシー料金くらいしか思い浮かびません。

価格を上げないという、その忍耐と知恵と努力だけは世界一と言っていいでしょう。
それに慣れ切っていただけに、他国との落差に愕然とします。


価格が変わらないならまだしも、どんどんと値を下げる運命にあるものがあります。
それは処方薬の薬価。
処方薬は国が値段を決めるのですが、薬価改定の度にどんどん切り下げられていきます。
疾患治療に当たって非常に効果が高く、評価のある薬ですら価値を無くしていきます。

先日は、40年以上にわたって使われてきた消化酵素剤「エクセラーゼ」が来年いっぱいで販売を終了すると発表されました。
理由として、今の薬価じゃコスト割れ、という意味合いのことが記されていました。
このケース同様に製造をやめてしまう薬が相次ぐのではないかと懸念しています。
そうなってしまうと、治療したいのに必要な薬がないという事態も起こりかねません。


クオリティーの高い日本の品々が安く買いたたかれるのは悲しいですし、適切な値付けがなされることを、これからはしっかり受け入れて必要もあるでしょう。
それにしても、相次ぐ物の値上げには頭が痛いですね。

デイゴ父の仕事の関係で、半年弱の間、復帰前の沖縄に住んでいたことがあります。

覚えているのは、車が右側通行だったこと・英語の絵本や臭いのきついクレヨンを買ってもらったこと・5セント硬貨を握りしめて駄菓子を買いに行ったこと・海岸の岩の隙間にいたタコに水をかけられたこと。
そして、B29の低く飛ぶ姿と爆音です。

今日は沖縄の本土復帰50年ということで様々な報道がなされていますね。
単純に喜べない人たちがいるのが存在しているのがなぜなのか、学んでいただきたいと思います。
沖縄に足を運んだら、有刺鉄線に囲まれた広大な土地や、今も人々の日常を掻き乱している爆音も目や耳で確かめてみましょう。

高血圧症で通院されている方には、ご自宅での血圧測定を促しています。

血圧を測る機会が外来診察の時に限られると年に測る回数もわずかですし、普段の生活の中での重要な変化を逃さないことが心筋梗塞や脳卒中などの心血管疾患の予防に重要であるとわかってきているからです。

血圧手帳このため、測定方法などを説明の上、皆さんに血圧手帳をお渡しして外来時に必ず持参してもらっています。
中にはご自身で用意した手帳や紙に記録される方もいますし、最近はスマートフォンのアプリで記録している方もいます。
同じ手帳でも、皆さんの使い方に個性が出ているので、毎回拝見させていただくのが楽しみです。
血圧以外に1日の歩数を記入されている方、高い時の数値を赤で記入される方、グラフ化してページ毎に色を変えている方、寒かった・寝不足・薬が切れていたなどコメントも記入されている方など。
記録するのを面倒くさがらずにエンジョイされているようです。

皆様方の記録には必ず目を通させていただいています。
安定している方は少なくとも週に2回、薬の飲み始めや変更のあった方は週に半分以上、測定と記録を続けていただきたいと思います。

鹿児島空港と鹿児島市・薩摩川内市・阿久根市・水俣市などを結ぶ鹿児島空港連絡バスで、4月20日からVisaタッチ決済の実証実験が始まるようです。

visa鹿児島のバスや路面電車では、全国で相互利用可能な交通系ICカードと全く互換性のない独自のICカードしかなく、県外・海外の人々の不平不満の声を度々聞いてきましたので、将来を見据えた新たな一歩として高く評価したいと思います。

一方、広島県のICカード、PASPYは3年後に廃止が決まったとか。
広島電鉄やアストラムライン・バスなどを幅広く網羅し、全国系ICカードでも利用できるというものですが、機器の更新などに多額の費用がかかることが廃止の最大の理由のようです。
PASPYのような仕組みが鹿児島でも拡がればいいのにと思っていたのですが、コストを理由にどこの交通運営事業者も尻込みしていました。
今回の南国交通の英断には本当に感謝です。

交通系ICカードの欠点はプリペイド式であることですが、Visaタッチならカード残高を気にせず使えますね。
空港連絡バス以外への普及も期待したいです。

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さて、キャッシュレスが全く進まないのが、我が診療所も含めた医療機関です。
これは、国の定めた診療報酬を元にして皆様方から診療費をいただいているからです。
キャッシュレスの手数料を負担しても十分に耐えうる診療報酬であれば、多くの医療機関で導入が進むはずなんですが。
国がデジタル改革を推し進めていきたいのであれば、医療機関の苦悩を汲み取っていただきたいものです。

1月15日に起こったトンガ近郊の海底火山噴火の影響は、同日から翌日にかけての大きな潮位変動となって日本各地に被害をもたらしました。
1月17日は阪神淡路大震災から27年にあたりました。
1月22日は日向灘を震源とし、九州の一部で震度5強を記録する地震がありました。

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海底噴火トンガの海底火山噴火による現地の被害状況が次第に明らかになってきました。
空港の滑走路や農作地・生活用水に使う雨水などが影響を受けていることで、今後の生活に大きな支障をきたす可能性があること。
一方で、これまでに新型コロナ感染者がわずか1例しかなく、支援受け入れに慎重になっていること、などは皆さんもご存じかと思います。

一部の島では15メートルの津波が襲ったのではないかとも言われていますが、現時点で確認された死者は3名に留まっています。
トンガの国民は普段から津波への心構えができていて、逃げ場所を分かっているのが人的被害を少なくしてた可能性があります。

海底火山噴火地点から65km離れたトンガの首都の様子はこれから次々と伝えられると思います。
桜島の噴火口から約8kmしか離れていない鹿児島市街地が、大きな噴火に見舞われた時に住民はどのように対処すべきかをこの事例から学んでいかなくてはなりません。

私は、少なくとも1週間は自宅で過ごせるだけの水や食料が必要で、どのような手段でどこに退避すべきかを考えておくべきだと思いました。

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例年、1月17日を前に阪神淡路大震災についてブログで語ることを常としていましたが、今回は随分遅れました。

27年目となる今年の報道では、当時を語る人が増えたという印象でした。
震災当時幼かった人がその当時と同じ年齢の子供を持っている・自分のおさがりを着ていたことで母の身元が判明した・いまだに3人の行方不明者が3いてそのうちの1人の娘さんの27年の人生 etc・・・。
時を経て、ようやく話すことができるようになったという人も増えてきているのでしょうね。

災害に遭ったことのない人達の防災意識に少しでも役立つように、経験したことを伝えることに私は労を惜しみません。
また、皆さんはいろんな災害の報道をただ眺めてやり過ごすのではなく、自分の身近で起こったらどうすべきなのかを考える教材としていただきたいと思います。
 

新型コロナウイルスのオミクロン株が急速に広まっており、テレビや新聞も必然的にこの話題ばかり。
当ブログでも、新型コロナ関連の情報をこれまで多く発信してきましたが、たまには息抜きをしてみましょう。
私の好きな小説家・脚本家・映画監督を取り上げてみます。
どういうわけか、3人とも寡作なんです。
でも、素晴らしい作品を提供してくれるので、いくら年月がかかっても待つ時間がちっとも惜しくない3人です。

飯嶋和一 ( 小説家 )

小説最初に読んだ「始祖鳥記」は、江戸時代に日本で最初に空を飛んだとされる浮田幸吉を描いた作品。
ワクワクする展開と骨太な筆致にすっかり魅了され、出る作品は全て読んでいます。

歴史に埋もれた権力に抗う人物に焦点を当てた作品が多いのですが、それを拾い上げる嗅覚や徹底した資料の読み込みには恐れ入ります。

おおよそ4年に1作品のペースなので、今年はそろそろ新作が出るのではないかと期待しております。

なお、「汝再び故郷に帰れず」では十島村の宝島が、「星夜航行」では山川港などが舞台として出てきますので、鹿児島の人には是非手に取ってもらいたいです。
飯島和一の作品はどれをとってもハズレがありませんからね。


渡辺あや ( 脚本家 )

ドラマNHKの朝の連続テレビドラマ「カーネーション」は傑作中の傑作です。
俳優陣の演技・映像・音楽も非常に素晴らしいものでしたが、何といっても脚本が秀逸でした。
紡ぎ出されるセリフの一つ一つ、これが自然に湧き上がってくるとは、何と恵まれた才能なのでしょう。
初回や最終回の技法も恐れ入りましたよね。

寡作なのは、オリジナルの脚本が通らないからなんだそうですが、NHKで放送された「ロング・グッドバイ」「ストレンジャー ~上海の芥川龍之介~」「今ここにある危機とぼくの好感度について」では贅沢なキャスティングに手抜きのない映像も相まっていずれも素晴らしい仕上がりでした。

個人的には、女性を主役に据えたドラマだと、彼女の才能が遺憾なく発揮できるのではないかと思っています。
男では絶対に創出できないセリフの数々は、女性を前面に出してこそ、更に高みに至るのではないでしょうか。


レオス・カラックス ( 映画監督 )

映画汚れた血」(1986年) を観た時の衝撃は忘れもしません。
デジタルではないフィルムの時代、様々に織り交ぜられた映像手法に脳天を打ち抜かれてしまいました。
特に、後にアカデミー賞を取るジュリエット・ビノシュが疾走するラストは語り草となっている超名シーンです。
前作であるモノクロの「ボーイ・ミーツ・ガール」とは打って変わっての鮮烈な色使いにもすっかり感服したものでした。

以来、欠かさずに彼の作品を観ているのですが、9年ぶりの新作「アネット」が4月に公開されます。
レオス・カラックスがなぜミュージカル映画に挑戦したのか、興味深いところ。
音楽プロデューサーが「ラ・ラ・ランド」や「ボヘミアン・ラプソディ」も担当していた人と聞くと、それだけでもワクワクしますね。

レオス・カラックスの作品は「アネット」も含めてたった7つしかありません。

鹿児島ジャズフェスティバル今年で5回目を迎える鹿児島ジャズフェスティバル。
例年は9月開催ですが、今年は「ウインターセッション」と称して12月21日から24日までの4日間の開催です。

昨年は新型コロナ禍の中、鹿児島と東京をオンラインで繋いでの開催でした。
両会場を繋いでのセッションもありましたが、タイムラグもなく映像も音もクオリティーが高く、びっくりしました。

今年もコロナの影響で野外で人を集めてのライブが難しいこともあって、宝山ホールに人数を限って聴衆を入れ、オンラインでも楽しめるという工夫をしています。
開催自体を中止するイベントが多い中、知恵を絞ってジャズを多くの人に楽しんでもらおうとする努力には頭が下がります。

初日から YouTube を介して聴いていますが、映像の質の高さは特筆すべきものがあります。
そして4日間で60名程のアーティストが鹿児島に集結して、熱い演奏を繰り広げています。
最終日の今日も素晴らしい出演者が揃っています。
一流ジャズプレーヤーがこれだけ終結してくれるのはとてもありがたいこと。
来年以降も盛大に実施されることを期待します。

阪神淡路大震災から26年。
コロナ禍の中、いつもと違った祈りのあり方だったと思います。

ニュース番組朝のNHKのニュースのトップは新型コロナ関連のことで、阪神淡路大震災については4番手の扱いでした。
その代わり、たっぷり時間をとっていました。
昼のニュースでは筆頭の扱いでしたけど、この先は少しずつ褪せていくのかも知れません。

1年前、震災後25年にあたって、あの日私の経験したことを書きました。
是非、読んでみて下さい。( → 阪神淡路大震災から25年にあたって )
私にとっては褪せることのない記憶です

本日は、鹿児島市の内科の休日当番を担当させていただきました。
来院された患者さんはあまり多くなく、ほとんどは嘔吐や下痢の症状が主体でした。
鹿児島の定点観測では、インフルエンザの流行の兆しはありませんが、胃腸炎には気をつける必要がありそうです。
マスクはしているものの、手洗いが疎かになっているのではないかと考えられます。

♦♦♦♦♦

駅伝診療の合間で、本日開催された全国高校駅伝・防府読売マラソンを見ておりました。
密になりやすいスタート地点や沿道の応援、感染リスクのある給水ポイント、ボランティア集めなど、様々な課題があったと思いますが、新型コロナ渦の中でこういう大会が開催されたことは非常に意義深いものがあります。

優勝候補筆頭だった高校女子の神村学園は残念でした。
でも、3年続けて1位と2位を維持しているのは素晴らしいことです。

昨年、参加させいてただいた防府読売マラソンは、不評だったスタート地点に改善がみられたのはいいことですが、減らされた給水ポイントの数はそのままでしたね。


この年末に開かれた様々なスポーツ大会の運営を参考にしていただき、来年こそは一般市民ランナーが臆せずに参加できるマラソン大会が催されることを期待します。

新型コロナ流行は様々なところに影響が出ています。
我々は、医師会の生涯教育認定講座などを一定数受講する必要があります。
従来は、ホテルや会議室などに出向いて講演会・講習会に参加しなくてはなりませんでした。
3月頃から相次いで中止になっていたこれらの講演会も、先月あたりからはWeb開催という形で復活してきています。
今日もオンラインでの講演会があるので、時間を忘れないように自宅のパソコンの前にスタンバイする予定です。


さて、秋の風物詩として鹿児島に定着しつつある2つの音楽イベントがあります。

野外フェス一つは、今年で3回目となる予定だったグレートサツマニアンヘスティバル。( フェスティバルではなくヘスティバルで間違いないです )
桜島を舞台に2日間にわたって行われますが、今年は残念ながら中止となりました。
発表された、出演するはずだったアーティスト一覧をみてびっくりでした。
ACIDMAN・EGO-WRAPPIN'・岡崎体育・奥田民生・河口恭吾・氣志團・サンボマスター・湘南乃風・すかんち・スチャダラパー・聖飢魔Ⅱ・田島貴男・DJダイノジ・東京スカバラダイスオーケストラ・TRI4TH・Dragon Ash・のん・etc・・・。
凄いメンバーが勢ぞろいする予定だったんですね。( → こちら )

もう一つは、4回目となる鹿児島ジャズフェスティバル
鹿児島市内の各所で無料でジャズを楽しめるイベントで、私は毎年楽しみにしています。
今回は、何とオンラインでの開催となっています。
各地でイベントが中止となる中、アーティストたちの熱意に敬意を表したいと思います。
今度の週末、9月12日と13日開催です。( → こちら)

1995年1月17日、午前5時46分に起こったことを話しましょう。

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震災当時、私が住んでいたのは神戸市の須磨の山手の方。
六甲山縦走大会ではコースの一部になっている場所にありました。


震災ドスンという大きな衝撃に眠りから覚めた思ったら、ベッドの上でいきなり水平に激しく体が揺さぶられ始めました。
ガチャガチャと大きな音を立てながら食器が次々に割れる音、本棚から本がバタバタと落ちていく音が聞こえてきます。
ベッドから振り落とされないように、必死でシーツを鷲掴みにするのが精いっぱいで、何もすることができません。
たった15秒の揺れでしたが、どれだけ長く感じたことか。
揺れが落ち着いた後、まるで大型トラックが何台も猛スピードで通り過ぎていくようなゴォーッという低い轟音が六甲山系の山を伝って東の方へ遠ざかっていくのが聞こえました。
山は鳴るのですね。

停電で、室内はおろか外の街灯も消えて真っ暗な闇が広がっています。
食器が割れるなんてとんでもない地震だ、震源は一体どこなんだろう‥。
真っ先に思ったのはこんなことでした。
怖さを感じる間はなく、ただ驚きしかありませんでした。

テレビが使えない中、地震の情報を得ようと真っ先に思いついたのが実家への電話。
母はもう起きている時間だからです。
電話機のある部屋まで、暗闇の中を床に散乱した食器や本などに足を取られながら進みますが、何回も余震が襲います。
途中で普段から用意している懐中電灯を手にしますが、電池が切れかかっていて淡い光を放つのがやっとの状態です。
ようやく受話器を握って連絡。
「今、大きな地震があったんだけど、震源は? 神戸の震度は?」
母に問いかけました。
母が慌ただしくつけたテレビから、アナウンサーの声が漏れ聞こえてきます。
京都や大阪の震度は伝わってきました。
「神戸は?」と母に聞いても情報が出ていないとの返事。
しばらくして「震度6」と母の叫ぶ声が響きました。( 震度7は、その後の現地調査等で結論づけられたものです )
電話をかけている間にも余震が繰返し室内を揺さぶります。
いつになったら揺れが収まるのだろうという不安感と、寒さから体がガタガタと震え始めました。

一旦電話を切り、次は実家に戻っていた妻への連絡です。
妻の実家の電話番号は電話機のメモリーの中。
しかし、停電でメモリーが使えません。
新婚8ヶ月目で、その電話番号を記憶していませんでした。
もう一度実家の母に電話して番号を確認し、何とか連絡が取れました。
一番聞き出したかったのがラジオの在り処。
停電の中、情報を得るのにはラジオが一番です。
しばらくの会話の後、トイレに行きたくなって電話を置こうとした時に「繋がらなくなるから切るな」と妻から言われたものの、いつまでも受話器のそばに座っているわけにもいきませんでした。
実際、その後は電話が簡単に繋がらない状況になってしまいました。

まだ明けきらない外の様子を窓越しに見ると、海に近い地域で炎がいくつか見えるではありませんか。
早く消火ができればいいのに、と眺めていましたが、その炎が昼を過ぎても衰えることなく続くとは、その時全く想像することができませんでした。

夜が明けて、室内の状況が分かってきました。
散乱した食器や本などを片づけようとしても、大きな妨げとなったのが、ホッとする余裕を与えることのない断続的に続く余震です。
本震よりも、この終わりの見えない余震の方が怖くてたまりませんでしたし、余震でまた散らかってしまうのではないかと考えると、片付ける意欲は削がれていきます。

幸運にも、午前8時半頃に停電が一時的に回復しました。
その時に急いでつけたテレビに映し出されていたのは、倒壊した阪神高速の高架やあちこちから上がる火事の炎と黒々とした煙‥。
自宅の被害とは比べ物にならない大惨事が、目と鼻の先で広がっている現実に驚愕したのでした。

♦♦♦♦♦

25年が経過しましたが、地震発生直後の記憶は褪せていません。
この後も様々なエピソードが続きますが、今回は最初の3時間ほどの部分だけを切り取って書いてみました。
震源地に近いものの、花崗岩でできた固い地盤の上に住んでいたのが幸いし、激しい揺れにも関わらず被害も大きなものではありませんでした。


さて、この数時間の行動の中に、災害に対する不備がいくつか浮かび上がりますが、わかりますでしょうか。

1. 床に割れた食器などが散乱している中、裸足で歩いたこと。
  ( 足で探りを入れながら進みましたが、よく怪我をしなかったものです。)

2. 懐中電灯は家にあったものの、電池が切れかかっていたこと。

3. 固定電話のメモリーは停電になると使用不能になると知らなかったこと。

4. ラジオの収納場所を知らなかったこと。


当時、携帯電話の普及はほとんど進んでおらず、家具の転倒防止を防ぐグッズも一般的でなかったことなどを差し引いても、様々な問題点がありました。


25年の節目で様々な報道がなされると思いますが、他人事と思わず、今一度災害に対する備えを確認する機会として下さい。

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