野口内科 BLOG

  野口内科は鹿児島市武岡に開業して46年を迎えました。
  当ブログでは、当院からのお知らせ、医療・健康に関する情報の他に、近隣の話題、音楽・本のこと等を綴ってまいります。

    診療時間 午前  9:00〜13:00
         午後 14:30〜18:00 (金曜は〜18:30)
    休診   日曜・祝日・木曜午後
    電話   099−281−7515
    住所   鹿児島市武岡二丁目28−4
    院長   野口 仁

         ▶▶▶ アクセスMAP
         ▶▶▶ バス路線図

ハンガリー

 ★ 診察室のデスクトップ 74 ★


鹿児島で言えば城山、長崎なら稲佐山、神戸なら六甲山、函館なら函館山‥。
市街地を、特にその夜景を眺めるのに絶好な高台が各所にあります。
ハンガリーの首都ブダペストのゲッレールトの丘もそんな高台の一つです。

今年のゴールデンウィークに訪れた際は、丘の南側のゲッレールト温泉付近から頑張って徒歩で登りました。
案外苦にはならなかったです。

そして、多くの観光客がいる中、かなりいい位置に陣取って、日没の30分くらい前から刻々と変化するブダペストの街並みを堪能。
今回の診察室のデスクトップの画像に選んだ写真は、中央に見える鎖橋やその奥のマルギット橋、河畔の道路などが点灯し始めた頃のもの。
ドナウ川では、ちょうど夜景を堪能できる観光船が一斉に動き出し、両橋の間に群をなしています。

この後、ブダ側 ( 写真の左手 ) の王宮やペスト側の国会議事堂などのライトアップも続き、ドナウの真珠と謳われる街の見事な夜の輝きが広がっていきます。
贅沢なひとときでした。

帰りはさすがに足元が暗いので、ゲッレールトの丘を西側にやや下り、27番のバスに乗って地下鉄4号線の Móricz Zsigmond körtér 駅まで。
2014年に開通したばかりの4号線の各駅は、芸術的で目を引くものばかりでした。
地下鉄の急な加減速に我々はよろけてしまいますが、びくともしない地元の人達の体幹の強さには驚きます。
また、エスカレーターの動きの速さにも最初は戸惑いますね。

ちなみに、神戸の夜景は六甲山よりも摩耶山の掬星台をお勧めします。
六甲山からは海に向かって右手の神戸市街地方面がちょっぴり山の陰になってしまうのですが、摩耶山からは妨げるものが少なく、広がりが違います。



ブダペストの夜景




10月23日はハンガリー動乱の起こった日です。
今年のゴールデンウィークを利用してハンガリーを旅し、当ブログでも私の行った場所などを紹介してきました。

● ガイドブックに載っていないブダペストの観光スポット 聖ラースロー教会
● ガイドブックに載っていないブダペストの観光スポット サボー・エルヴィン図書館
● タイトル画像にマルギット橋と国会議事堂
● ブダの2つの教会 ( マーチャーシュ教会・改革派教会 ) とドナウ川

私が最初にハンガリーを訪れた1987年は、まだ東西冷戦のまっただ中で、ハンガリー動乱のことを口にするのはご法度の時代。
ましてや、それを記念するモニュメントなどある由もありません。
今回の旅行では、冷戦終結後にあちこちに誕生したハンガリー動乱にまつわる場所を訪ねるのも楽しみの一つでした。
これから紹介する場所の多くはガイドブックには載っていませんので、ハンガリー観光する予定のある方は是非参考にしてみて下さいね。
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その前に、ハンガリー動乱について簡単に説明を。
ちなみに、地元では「1956年革命」 ( 1956-os forradalom ) と呼んでいます。

1956年、フルシチョフの行ったスターリン批判をきっかけに東欧諸国での自由化要求が強まります。
ポーランドでは6月に起った反ソ的なポズナン暴動をきっかけに、10月に政権交代が起こります。
これに刺激を受けたハンガリー国民が政府に対して蜂起したのが10月23日のことです。
さかのぼる7月にソ連の圧力でハンガリーのトップが交代させられますが、この退陣や言論の自由を求めるデモが予想を超えて大きくなっていきます。
デモ隊と秘密警察の間での衝突を契機に、市民と駐留していたソ連軍との戦闘が始まります。
ハンガリー勤労者党指導部は、国民に人気のあった前首相ナジ・イムレを急遽復職させ、ソ連から派遣されていた幹部とナジの話し合いの結果、ソ連軍の撤退が決まります。
しかし、彼の打ち出した複数政党制・自由選挙・ワルシャワ条約機構からの脱退などの矢継ぎ早の緩和策が、ソ連の危機感を煽り、再度の武力介入を招く結果となるのです・・・。

その後、ベルリンの壁が崩壊し民主化した現在のハンガリー共和国が樹立されたのは、1989年の奇しくも10月23日のことでした。

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ハンガリーの首都ブダペストに着いたのは午前中でした。
チェックイン前のホテルに荷物を預かってもらい、真っ先に向かったのが、ナジ・イムレ ( Nagy Imre ) の像。
ハンガリーは日本と同じで姓が先で名が後にきます。
ナジ・イムレ01

地下鉄を乗り継ぎ、コシュート・ラヨシュ広場駅で下り、ブダペストの観光の目玉である国会議事堂には脇目も振らずに、まっしぐら。
広場の南東端の交差点の横断歩道を渡った一角にその銅像があります。
橋の上から国会議事堂の方を向いている彼の姿は何となく寂しげですが、当日はハンガリーも休日で周囲はかなり賑わっていました。
ナジ・イムレ02

( ※※ ナジ・イムレの像は2018年末に撤去されてしまったようです。→ こちらのニュース )

このナジ・イムレの像の北側にある農林省 ( Földművelésügyi Minisztérium ) の建物の壁には、ハンガリー動乱の際の銃弾の跡が一つ一つプロットされていました。
ここは、旅行前の下調べでもチェックできなかった所だったので、想定外の発見に少し得をした気分でした。
農林省の銃弾の跡


次に紹介するのは、エルヴィス・プレスリー公園 ( Elvis Presley park ) です。
旅の2日目、ブダペスト近郊の町センテンドレからの帰りに訪れました。
ドナウ川に架かるマルギット橋の西端からちょっと北上したところにあります。
エルヴィス・プレスリー公園

プレスリーは、1957年にテレビ番組で司会者のエド・サリヴァンとともにハンガリー国民への寄付を呼びかけます。
集まった250万ドルを元にして、米国赤十字からハンガリーへ様々な物資が送られたそうです。
2011年にプレスリーはブダペストの栄誉市民に選ばれ、そしてこのドナウ川沿いの公園に彼の名が付けられたのでした。
表示板があるだけでプレスリーの像があるわけでもなく、何の変哲もない公園。
観光客なんてもちろんいません。


エルヴィス・プレスリー公園から南西方面へ少し歩くと、ブダペスト市内とは思えない石畳の坂があります。
グル・ババ通り

グル・ババ通り ( Gül Baba utca ) はオスマントルコがこの地を支配していた時代の名残のある坂で、とても風情があります。
ここは、ガイドブックでよく紹介されている場所なのですが、観光客とおぼしき人達を数名見かけた程度で、静かな異次元の空間でした。
しかし、モスクワを舞台にしていながら実際の撮影はハンガリーで行われた映画「ダイハード5」のカーチェィスの一場面がここで行われたとか。
この坂道の途中にある家にも、ハンガリー動乱時の銃弾の跡が見て取れます。
銃弾の跡


グル・ババ通りを登りきってさらに進むと、マンスフェルド・ペーター公園 ( Mansfeld Péter park ) があります。
Mansfeld-Peter-park

ハンガリー動乱時にわずか15歳だったペーター少年は、水・食糧の配布や情報伝達役として働き、動乱の鎮静化後も闘いの継続を訴えたとして16歳の時に逮捕され、18歳で処刑されてしまいます。
動乱の最年少の悲劇のヒーローとして、ハンガリーの人たちには象徴的な存在なのです。
公園には、厚いコンクリートの壁に四方を囲まれ素っ裸で立っている彼の像があります。
( 少年の像の写真は露出がうまくいっておらず、今回は掲載しません )
この公園からは、ブダペストの観光名所のキモである、ブダの王宮やゲッレールトの丘、ドナウ川にかかる鎖橋やエルジェーベト橋、国会議事堂などを眺めることができました。
世界遺産の街・ブダペストを一望する場所としてはゲッレールトの丘が定番ですが、ここも案外穴場なのではないかと思います。
Mansfeld-Peter-park02

ブダペスト観光の目玉の一つ、漁夫の砦の下あたりにも、壁をスパイダーマンのように這う彼のモニュメントがあるのですが、今回は訪ねる時間がありませんでした。


3日目の朝食を摂りに出かけたのは コルヴィン・クォーター ( Corvin Negyed ) という場所。
卵形に1周する道路に取り囲まれたCorvin Moziという名の映画館を中心に据えたエリアで、今は賑やかなショッピング街になっていますが、ハンガリー動乱の際に最も戦闘が激しかった場所とされています。
黄色い外壁の映画館の前にあるのが、この銅像。
Corvin-mozi

銃を手にして果敢にソ連軍に挑んだ少年たち「Pest Boys」をかたどったものです。
1956年、米国のTime誌が選ぶ Person of the Year に選ばれたのが「Hungarian Freedom Fighters」、彼らだったのです。
この近辺にも、銃痕の残る建物があちこちにあるそうなのですが、これまた時間がなくて探して回るのを断念しました。 

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今回のハンガリー旅行では、ブダペストを中心に、建物・音楽・ハンガリー動乱をテーマに掲げて各地を巡りました。
ガイドブック上のお決まりの観光スポットをなぞるのではなく、歴史を頭に入れて自分なりのプランで赴いた今回の旅、中身の濃いひとときを過ごすことができました。
 

 ◆ 診療所ライブラリー 148 ◆


中井久夫私が学んだ医学部の精神科には中井久夫という先生がいました。
日本の精神医療の分野を切り開き、究極の知性とも言われ、多くの人々を魅了している人物です。
その先生の講義を、目を爛々と輝かせながら熱心に聴く同級生たち。
が、精神科領域にあまり興味のなかった私には、話が耳の右から左に抜けていくだけの時間を過ごしていました。
後から中井先生の凄さを知るにつれ、何てもったいないことをしていたのかと後悔しています。


そんな私にも、中井先生の言葉で記憶に残っているものが2つあります。
まず一つ目が

芍薬は女性には喜ばれますな

ポリクリという名の学生臨床実習でのことです。
患者さんの診察をしながら、横に座らせた中国人留学生に漢方薬のアドバイスを受けていたのです。
女性の患者さんが診察室から退いた後に、我々学生の方に顔を向けて発したのがこの言葉でした。

調べてみると、更年期障害などで女性に処方する機会の多い漢方薬のほとんどに芍薬という成分が含まれているではありませんか。
漢方薬に興味を持つきっかけの一つとなったこの短いフレーズは、今でも私の頭に鮮明に刻まれています。
既存の薬は精神科領域の病を根本的に治すものではないと知っていた先生が、人間的に配慮する治療の一環として漢方薬の活用を考えていたのだと思いますが、その際に見せた若い留学生からさえ謙虚に学ぼうとする姿勢にも感心した場面でした。


もう一は、ポリクリの最中に先生ご自身がカルテを書きながら発した言葉

医者の文字は破壊されますな

ガリ版に刻むような文字も書けていた私は、先輩方のカルテの記載を追うのに四苦八苦していました。
しかし、多忙を極める臨床現場に身を置くと、自分自身の字も時間が経つにつれ自分でも読めないような状態に変化してきました。
未だに紙カルテなのですが、自分の手書き文字を見るにつけ思い出す言葉です。
医師の筆遣いの劣化を、見事に普遍的に表しているのではないでしょうか。

的を射た言葉を選んで短いフレーズに凝縮する達人である先生の講義の中には、もっともっと今の臨床に活きる言葉がたくさん詰まっていたはずで、それを真面目に聴いていなかった自分を悔いる次第です。


今回紹介する「中井久夫 精神科医のことばと作法」は、様々な人が先生について語り合い論考したムック。
本人のエッセイなども掲載されており、多彩な内容で先生の考えや業績が理解できるようになっています。
掲載されている鼎談を通して、中井先生が思考や概念に色や匂いを感じ取っていたと知りました。
このゴールデンウィークに訪れたハンガリーを代表する天才ピアニスト、リスト・フェレンツ ( フランツ・リスト ) も音を色彩で捉える「共感覚」を持っていたとされます。
ハンガリー訪問を機に興味を持ち始めたこの共感覚を、中井先生も持ち合わせていたのなら・・。
天才の感覚に触れる機会を十分に活用できなかったことを返す返すも口惜しく思う今日この頃です。
( 私、悔やんでばかりですね )

中井先生のことを知らない方も、この本を是非手に取って読んでみて下さい。
新しい覚醒の糧となるはずです。


当院では、医療・介護・健康などに関する書籍を取り揃えて貸し出しも行なっています。
是非ご活用下さい。( → 当院の書籍の貸出しについて )

 ★ 診察室のデスクトップ 70 ★


お休みを利用して訪ねたハンガリーについては、既に当ブログでも3つ程記事を書きました。
今回は、この旅行で撮影した写真の一枚を診察室のモニター画面にしてみましたので紹介します。

その写真は、ハンガリーの首都ブダペストブダ側をペスト側のドナウ川遊歩道の靴付近から撮った1枚です。
ブダペストは北から南に流れるドナウ川をはさんで右岸 ( 西側 ) がブダ、左岸 ( 東側 ) がペストです。

左に高くそびえるのがマーチャーシュ教会、その前に見えるベランダのような場所が漁夫の砦
この2つはブダ王宮と併せて王宮の丘の観光スポットの要となる場所で、ブダペストを訪れる人は必ず立ち寄るところですね。
ジョルナイ製の屋根のタイルが美しいマーチャーシュ教会の右側の建物はヒルトンブダペストです。
1976年に開業したようですが、景観にうまく溶け込む配慮がなされていますよね。

さて、私がこの場所から一番撮りたかったのはドナウ川べりにある右下のレンガ色の建物なんです。
これは改革派教会 ( Szilágyi Dezső téri református templom ) ですが、残念ながら内部は観光用には公開されていません。
しかし、外観を眺めるだけでも十分な価値があります。
全体にレンガ色に統一されている中で、これまたジョルナイ製の屋根のタイルの黄色と緑がアクセントとなっています。
いくつもある丸い窓や随所にちりばめられた三角形のモチーフも破綻することなくデザインされています。
絶対にこの場所から写真に収めておきたかった改革派教会。
なかなか見事な建築物なので、ブダペストを訪れる際は絶対にお見逃しなく。

ドナウ川には観光船がたくさん係留されていました。
ドナウ川の両岸がライトアップされる夜に運行されるものがほとんどですが、31年前に訪れた時とのギャップを感じる一コマです。

ブログに掲載している写真はとても小さいので、診察室に来られた際には是非モニターを覗きこんでみて下さいね。


ゴールデンウィーク中に訪れたハンガリー。
主要な観光コースからは外れていてガイドブックには載っていないけれど、足を運んでみて欲しい場所。
2ヶ所目は、とある図書館です。

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ブダペストのリスト・フェレンツ国際空港から市街地に向かう100Eのバスが最初に停車するカールヴィン広場 ( Kálvin tér ) 。
このバス停から東へ2分程度で歩いて行けるサボー・エルヴィン図書館 ( Fővárosi Szabó Ervin Könyvtár ; Metropolitan Ervin Szabó Library ) が今回紹介するスポットです。

元々 Wenckheim 伯爵の宮殿として1889年に完成したネオバロック様式の建物で、伯爵の死後、紆余曲折を経て1931年から図書館として活用されるようになりました。
三角形の土地に造られた、上から俯瞰して台形の形をしている建物です。
昔はエントランスとして使われていたであろう西の端の部分は閉ざされていますが、建物に沿って北側の道を進むと図書館の入口があります。

中に入ると、右手はビュッフェ、左手に受付があり、ここで我々観光客は入場券 ( 800フォリント ) を買う必要があります。
ゲートを通って階段を上がっていくと、ありきたりな図書館の光景に最初は拍子抜けします。
近くに大学がいくつかあるので、大勢の若者が館内で静かに勉強しています。
しかし、目指すは4階 ( 日本風に言うと5階 ) です。

サボー・エルヴィン図書館01目的の4階に着いても、ごく普通の現代的な景色が広がっていますが、奥に進んで行くと全く別世界の空間が待っています。
宮殿であった名残りが随所にみられる部屋の数々。
写真ではキャラクターの大きく異なる2つの部屋を紹介していますが、この中で普通に勉強している学生たち。
うらやましい限りです。
時間があれば蔵書を手に取ってゆっくりくつろいでみるのもいいでしょうね。



このスペースを貸し出すサービスもやっているようですが、皆様だったらどう使いますか。( → こちら )
それを活用したのかどうか分かりませんが、今春テレビで流れていた中条あやみが出ているハーゲンダッツのCMがこの場所で撮影されたみたいです。( → こちら )

サボー・エルヴィン図書館02

地下鉄のM3とM4が交わり、トラムもバスも通る交通の便の至極良い
Kálvin térは、観光客が必ず訪れる中央市場にも歩いて行けます。
アクセスの良い場所なので、時間を作ってでも800フォリントをけちらずに是非立ち寄ってみて下さい。
ただし、静かな静かな図書館であることは肝に銘じて下さいね。

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ガイドブックに載っていないブダペストの観光スポット 聖ラースロー教会
タイトル画像にマルギット橋と国会議事堂
● ブダの2つの教会 ( マーチャーシュ教会・改革派教会 ) とドナウ川
ハンガリー動乱の跡をたどる

PC画面でご覧の方は、ブログのデザインが変わったことにお気付きだと思います。
タイトル画像は2016年8月からイソヒヨドリを使っていました。
イソヒヨドリ02

これは鹿児島中央駅近くのナポリ通りで撮影したもので、最近は武岡近辺でもよく見かけるようになった泣き声の美しい鳥です。
写真にあるようにオスは背中の藍色とおなかの赤銅色のコントラストもきれい。
ずんぐりむっくりしている割に飛ぶのが速いのには驚かされます。

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さて、先日からモノクロ画像に変更しています。
マルギット橋とブダペストの国会議事堂

ブダペスト市民の憩いの場所、ドナウ川の中洲にあたるマルギット島の最南端部分、マルギット橋のたもとからハンガリーの国会議事堂を写したものです。
この日、ハンガリーは5月1日の祝日で、ドナウ川では派手な轟音の響く航空ショー ( エアレースのデモンストレーション ) が行われており、川べりやマルギット橋の上はものすごい人だかり。
川面には機体から噴出されたスモークが写っています。
画面に余計なものは入ってほしくなかったのですが、ある意味いい記念です。


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ガイドブックに載っていないブダペストの観光スポット 聖ラースロー教会
ガイドブックに載っていないブダペストの観光スポット サボー・エルヴィン図書館
● ブダの2つの教会 ( マーチャーシュ教会・改革派教会 ) とドナウ川

このゴールデンウィーク中にハンガリーに行ってきました。
私にとって実に31年ぶり、2度目の訪問。
2度目とあってマイナーな場所にも足を伸ばしてみました。
主要な観光コースからは外れていてガイドブックには載っていないけれど、是非訪れてほしい場所を2ヶ所、このブログで紹介したいと思います。
今後、ハンガリーを旅する方の参考になればと思います。

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最初に紹介するのは、ブダペスト・クバーニャ地区にある聖ラースロー教会 ( Kőbánya, Szent László-templom ) です。
若干、街の中心部から離れているので、今回は知り合いの ( と言っても初めて会う) 人に車で連れて行ってもらいました。

この教会、ハンガリーの建築家、レヒネル・エデン ( Lechner Ödön ; 現地読みだとエデンはウドゥンに近いでしょうか。なおハンガリーでは日本と同じで姓が先に来ます ) の作品の一つです。
「西のガウディ、東のレヒネル」と称される彼の建築物はブダペスト市街地の所々で見ることができます。
しかし、工芸博物館は2018年5月現在改修中、地質学研究所は内部見学には事前の予約が必要。
そして郵便貯金局は下から見上げるだけではもう一つですし、美しいグリーンの屋根を一番間近で鑑賞できる
Hotel President Budapest の屋上テラスは食事をせずに立ち去るわけにはいかないでしょうし。
それらに比べると、聖ラースロー教会は周囲に建物がないので外観をぐるりと見て回ることができる上、内部の見学も無料。
何とも贅沢です。

聖ラースロー教会01教会の高さは83メートル。
ブダペスト市内では96メートルの
聖イシュトヴァーン大聖堂に次ぐ高さを誇る教会です。
教会を建てるにあたっては3つの案があったようですが、最終的にレヒネルの作品が選ばれたとか。
ロマネスク、バロック、ゴシック、ペルシャ、そしてハンガリー独自のスタイルなどを融合したものらしいのですが、よくわかりません。
とにかく屋根に輝くジョルナイ製のタイルが美しいです。
中央とその両端にある尖塔は六角形をしており、途中がドーム状に膨らんでいます。
この建物の大きな特長の一つでしょうね。

中に入ると、誰もいません。( 50分位居たのですが、その間にわずか2組しか入ってきませんでした ) 
ジョルナイ製の陶器による装飾や、絵画、ステンドグラス、パイプオルガンなど、素敵な空間を我々だけで独り占めです。
特にジョルナイのターコイズブルーが印象的でした。

熱心に見学をしているのに気付いたのか、教会の関係者が私たちの方に近づいてきて解説を始めました。
ラースロー1世のことから、教会が建てられた経緯、そしてジョルナイや描かれている数々の聖人の話など。
特に、ステンドグラスを作った
Róth Miksa という人の話に熱がこもっていたように思います。
ハンガリー語の語りを知り合いが半分くらいに要約して英語にしてくれて、さらにその半分くらいをようやく理解した程度なのですが、思いもよらぬことに感激しました。

聖ラースロー教会02

あまり写真を掲載すると逆に興味が半減してしまうでしょうから、今回は2枚だけにしておきます。


街の中心部からやや
離れていますが、ブダペスト市内を縦横無尽に走るバスやトラムでアクセスできます。
バスは9番 ( オーブダ地区から街の中心を通って教会近くまで行く。終点一つ手前の Szent László tér 下車 )。
トラムは3番、28番、62番 ( M1やM2、M3の地下鉄の駅から乗り継げます。やはり Szent László tér 下車 )。
バスもトラムも車内のモニターに次の停留所が表示されますので、ご心配なく。


足を伸ばして訪れる価値が十分にある世界遺産の暫定リストとなっている建物、見なきゃ損です。( → ユネスコのHP Ödön Lechner’s independent pre-modern architecture )

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ガイドブックに載っていないブダペストの観光スポット サボー・エルヴィン図書館
タイトル画像にマルギット橋と国会議事堂
● ブダの2つの教会 ( マーチャーシュ教会・改革派教会 ) とドナウ川
ハンガリー動乱の跡をたどる

 ◆ 診療所ライブラリー 139 ◆


手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い 玉城英彦10月15日は「世界手洗いの日」であることは先日もブログに書きました。( → 手洗い )
今回取り上げるのも、手洗いが主題となっている本です。

手洗いという簡便な作業が、基本的な感染予防の手段で、一定の効果を持っていることは皆さんもよくご存知だと思います。
でも、それが当たり前でない時代があったのです。
手袋もせずに病理解剖をしたその手を洗わないまま、引き続き妊婦の診察をして産褥熱を引き起こし、次々に死に追いやっていた・・。
当時の医学の最先端にあったウィーン大学病院ですら、そんな時代があったのです。
まだ細菌が病気を引き起こすと解明されていなかった19世紀の半ばにあって、手洗いの重要性を説きながらも、それが当時の医学界に受け入れられず、非業の死を遂げたイグナーツ・ゼンメルワイス

今回紹介する「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い」においては、彼の生涯を描きながら、手洗いを中心とした感染対策や疫学の重要性を非常にわかりやすく伝えてくれる、中身の濃いなかなかの名著です。
医学関係の本は横文字や図版が多く入るので横書きがいいと私は常に言っていますが、この本は文章が中心なのに横書きなのも評価が高い点です。
それにしても、手洗いをするようになって産褥熱が激減したにも関わらず、自らの手が産褥熱を引き起こしていることを頑なに認めようとしなかった当時の医師たちは、ゼンメルワイスが去った後に手洗いを止めてしまい、再び産褥熱の増加を招いても手洗いの重要性を認識できなかったというのは不思議でなりませんね。

彼の功績は、彼の死後にジョゼフ・リスターによって脚光を浴び、評価されるようになります。
今では「感染防護の父」と崇められ、ハンガリーの首都ブダペストの医科大学はその偉業を称え、彼の名前を冠しています。( ハンガリーの現地読みでは「センメルワイス」のようです )
時代が追いついていなかった面があるとはいえ、成した仕事が生きている間には全く評価されないなんて悲しいですし、まだまだ彼の名前を知らない人が多いのも残念でなりません。
このすばらいし本に目を通していただき、イグナーツ・ゼンメルワイスの名前を是非覚えていただきたいと思います。
そして、普段から手洗いをしっかりと励行していただきたいと願っています。


【産褥熱】 分娩終了24時間以降、産褥10日以内に2日以上、38°C以上の発熱が続く場合と定義されています。臨床的には子宮を中心とした骨盤内感染症とほぼ同義語として使用されます。

ニコレッタ【診察室のBGM 134】


今年の霧島音楽祭には、ハンガリーの歌姫、アンドレア・ロストがやって来ます。
みやまコンセールでのコンサートを心待ちにしていますが、今回の診察室のBGMで紹介するのは同じハンガリーのジャズヴォーカリスト Nikoletta Szöke 
東欧のジャズにちょっと興味を持って手にしてみました。
彼女のさらりと聞きやすい歌声もさることながら、バックの音がしっかりしているには驚きました。
ロマ ( ジプシー ) 音楽の影響を強く受けているお国柄、ジャズの分野にもしっかり活きているように思います。

2012年に発売されたアルバム
「Inner Braze」の中には、ランディ・クロフォードのヒット曲「One Day I'll Fly Away」が収録されています。
穏やかな曲調ですが、人生の次のステップへ羽ばたくぞという強い思いが感じられる歌詞ですよね。
軽やかなピアノとともに彼女が唄い出し、ワイヤーブラシのドラムが途中からさりげなく加わり、テナーサックスがまろやかに雰囲気を盛り上げていく展開も素晴らしいですが、歌詞を見ながら曲を聴くと、彼女の見事な解釈と表現力に気づかされます。


私は、今からちょうど30年前にハンガリーを訪れました。
当時は東西冷戦のまっただ中でしたが、首都ブダペストのドナウ川沿いの美しい街並みにすっかり魅了され、ここなら住んでもいいな、と思ったほど。
そんな私のお気に入りの場所へ間もなく旅立つ人がいます。
夢に向かって頑張って欲しいですね。

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