野口内科 BLOG

  野口内科は鹿児島市武岡に開業して46年を迎えました。
  当ブログでは、当院からのお知らせ、医療・健康に関する情報の他に、近隣の話題、音楽・本のこと等を綴ってまいります。

    診療時間 午前  9:00〜13:00
         午後 14:30〜18:00 (金曜は〜18:30)
    休診   日曜・祝日・木曜午後
    電話   099−281−7515
    住所   鹿児島市武岡二丁目28−4
    院長   野口 仁

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西郷隆盛

 ★ 診察室のデスクトップ 116 ★


今回の診察室の机に置いてあるモニター画面の写真は鹿児島市中央公民館です。

鹿児島に観光で訪れる人が必ず立ち寄る西郷隆盛像の真向かいにある古めかしい建物がそれです。
開館して今年で97年となるようですね。
私が小さい頃には古くさい印象しか持っていませんでしたが、新型コロナウイルスワクチン接種事業を始めるにあたっての説明会や鹿児島マラソンの受付などで最近でも中に入る機会も多く、その度に時代を生き抜いた建物の尊さを感じます。

鹿児島では、旧考古資料館の保存活用法が検討されている一方で、鹿児島県産業会館の存続が危惧されています。
何とか残してほしいですね。


中央公民館



過去にデスクトップ画像に採用した写真などを少しずつインスタグラムに投稿しています。
興味のある方は覗いてみて下さい。


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 ★ 診察室のデスクトップ 71 ★


診察室のモニター画面の写真はセミの抜け殻にしています。
写真を入れ替えて既に1ヶ月近く経つのですが、ブログでの紹介が遅くなってしまいました。

昨年訪れた薩摩川内市の藤川天神の境内の所々にカノコユリがありました。
花が既に落ちていた株の一番小さな葉にセミの抜け殻が2つ。
他にもいっぱいスペースがあるのに、この場所を選んだ理由があるのでしょう。
兄弟なのか、恋仲なのか、同時にここに来たのか、時間差を置いているのか・・。
シンプルな構図に仕上がりましたが、いろんな物語が想像できる写真ではないでしょうか。
なお、藤川天神には西郷隆盛の愛犬、ツンの銅像もあります。

セミやヘビの抜け殻は、もぬけの殻とも言います。
スジアカクマゼミの抜け殻は蝉退 ( せんたい ) と呼ばれる漢方薬の原料となり、エキス製剤では皮膚疾患に使う消風散に含まれています。
有益な物なのに、もぬけの殻と呼ばれてしまうのも気の毒に思います。

一方のカノコユリ、自生地として同じ薩摩川内市の甑島は有名で、市花にも制定されています。
我が家のカノコユリも、ちょうど今、庭で咲いています。
シーボルトが持ち出したカノコユリは、オランダで他の日本品種と交配が重ねられ、ユリの女王「カサブランカ」が産み出されます。

入院のお見舞に、香りの強いユリは相応しくないと言われています。
それよりも、英国では花の水に細菌が多いことや看護師の仕事量が増えるといった理由で、花の持ち込みを禁止にしているようです。( 参考 → ベッドサイドの花 )
病室で花を飾ることに関しての個人的な意見も、そちらで述べていますので読んでみて下さい。



セミの抜け殻

 ● 薬の説明書のイラスト 287 ●


小学生時代の夏休みの課題でほぼ必ずやっていたのが、昆虫採集です。
虫の取り扱いが少々乱暴だったので、チョウの羽などはいつもボロボロでした。
それを見かねた父親が子ども以上に採集に熱中して、きれいな標本を作ってくれたのを覚えています。

虫を捕るのに、捕虫網や虫かごと並んで必須アイテムだったのが、昆虫採集セット
セットの中には、虫眼鏡やピンセット、虫ピンなどと共に、注射器と二種類の薬液が含まれていました。
薬液は、殺虫液と防腐液で、ホルマリンが含まれていたように記憶しています。
注射針は、我々の使う医療用とはほど遠い切れ味の悪い代物でしたが、薬液や注射器などが子ども向けに売られていたなんて、今では考えられないことですよね。
我々の世代であればほとんどの人が、昆虫採集を通して注射器を扱ったことがあるのではないでしょうか。

今回の薬の説明書のイラストに採用したのは虫かご です。
我々の小さい頃は、今と同じように青や緑のプラスチック製のものが既に主流となっていましたが、ブリキ製のものもあったように覚えています。

大河ドラマ「西郷どん」は、昨日から幕末の英雄が次々に登場してきました。
西郷隆盛坂本龍馬の間には、スズムシにまつわるエピソードがあります。
伏見の薩摩藩邸で西郷を待つ間に龍馬が庭で捕まえたスズムシを、西郷は周囲の者に命じて虫かごで飼うことにします。
そして、龍馬の再訪までの間、スズムシが死ぬたびに自ら探して飼い続けたといいます。
龍馬を悲しませないようにという細かい気の配りようが伺えます。
当時、大名家などで虫の声を愛でるのに、蒔絵を施した台座の上に漆塗りの竹を編み上げた豪華な虫かごもあったようですが、西郷の使った虫かごはどんなものだったのでしょうね。



虫かご

〈〈 武岡の端っこを歩く 35  水上坂 1 〉〉


10月の第4土日は鹿児島の恒例行事、妙円寺参り (妙円寺詣り・妙円寺遠行) が行われますが、避けて通れないのが急勾配で知られる最大の難所、水上坂 (みっかんざか)。
「武岡の端っこを歩く」というこのシリーズ、偶然にも今月この坂を登りきったところにさしかかりました。
どのくらいきつい坂なのか、写真でお伝えするのは本当に難しいものです。
右手には前回紹介した、名も無い公園が見えています。

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高校生時代、私はこの坂を毎日自転車を漕いで駆け上がっていたというのを信じていただけるでしょうか。
今やろうとしてもとても無理な話、我ながらよくやったものですね。


さて、折角ですので坂を下って常盤の町の様子を 2回に分けてお届けしたいと思います。
歩いてみて初めて分かることもあったので、皆さんも妙円寺参りの時などに注意してみて下さい。

今回は坂をずっと下って行って市営パス 2番線の終点、常盤バス停のすぐ脇にある日枝神社をまず見ていきます。2009100116573622705.gif
ここは幾度となく行き来している場所にも関わらず、今回初めてお参りしました。
建立は1504年とあり、境内には樹齢300年を超えるクスノキがあります。
実は、この神社は歴史上とても大切なポイントなのです。
島津の殿様が参勤交代の際にこの境内で旅の無事を祈願し神楽が奏されたそうですが、それにも増して注目すべきことがあります。
それは島津斉彬と西郷隆盛が初めて会ったのがここではないかということ。
「水上坂の藩侯お茶屋に御休憩の時」に出会ったとある本に記されているので、茶屋が一体どこにあったのか非常に興味があって調べていました。
この茶屋が日枝神社のさらに山の上の方にあったのではという説が有力であることを、歴史に詳しい方から間接的に情報をいただきました。( 建部神社の神主さん、ご協力有り難うございました )
今は神社から山へ向かう通路はどこにも見当たらないのですが、この山手からだと城下の町を見下ろしつつ桜島の眺めも素晴らかったのではないかと思います。
こんな歴史上大事なスポットを素通りしていたなんてもったいないことです。
そう言えば、今年は島津斉彬生誕200年にあたりますね。

2009100117023322642.gif日枝神社から武岡に戻る途中でたまたまこんな碑を見つけました。
ここに記されている八田知紀という人、全く知りませんでした。
私の父親は知っていましたが、この碑の存在までは知らなかったようです。
小松帯刀の和歌の先生だったようですが、興味のある方は是非調べてみて下さいね。
この碑は日枝神社から市道沿いに武岡方面へ歩いていくと左手の脇道の入口にひっそりと佇んでいますので、皆さん探してあてて下さい。
ちなみにこの脇道、「武岡の端っこを歩く 24」で紹介した場所に繋がっています。


 ● 薬の説明書のイラスト 74 ●


平成15年に鹿児島に帰ってくる時、鹿児島と聞いてイメージするものを何人かに聞いたら、真っ先に黒豚と答える人が圧倒的でした。
私が神戸に行った昭和58年頃は桜島か西郷隆盛が定番だったのですが、この変化にはびっくりしました。

さて、9月6日は鹿児島黒牛・黒豚の日というこで今回のイラストは黒豚です。
ネット上で見つけたかわいらしい黒豚は、こちらの管理人さんのご好意により使用させていただくことになりました。
ありがとうございます。

そういえば、小中学校の 4年間川内で過ごしたのですが、通学途中にセリ市場がありました。
曜日によっては黒豚がいっぱい運ばれてきたのを思い出します。
今は川内警察署になっているあたりだったと思います。


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