野口内科 BLOG

  野口内科は鹿児島市武岡に開業して46年を迎えました。
  当ブログでは、当院からのお知らせ、医療・健康に関する情報の他に、近隣の話題、音楽・本のこと等を綴ってまいります。

    診療時間 午前  9:00〜13:00
         午後 14:30〜18:00 (金曜は〜18:30)
    休診   日曜・祝日・木曜午後
    電話   099−281−7515
    住所   鹿児島市武岡二丁目28−4
    院長   野口 仁

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メディカルランナー

ごーる第三回鹿児島マラソンが3月4日に開催され、私は昨年に引き続きメディカルランナーとして参加しました。


開催2日ほど前までは小雨の予報だったのですが、前日になって晴れマークに変化。
実際に当日は、雲もほとんどないいい天気となりました。
しかし天気が良過ぎて気温がぐんぐん上がり、ゴール地点である鹿児島市役所付近は昼過ぎに26℃を超えたとか。
マラソンには不向きなコンディションでした。

メディカルランナーは背中にもゼッケンを付けるのですが、国道10号線を北上する際はけっこう強めの東風が吹き、このゼッケンが風に煽られてけたたましい音を立てる時間帯もありました。
第一回、第二回と故障を抱えベストなコンディションで走ることが出来なかったのですが、今回は怪我もなく意気込んでいましたが・・。
水分補給はこまめに行なっていたのですが、絶対量が不足していたのでしょう。
36km付近から両腕がしびれ始め、脚が急に重くなり、39km
 ( 仙巌園付近で脚がつり、全く走れなくなりました。
原因は脱水と低ナトリウム血症だと思います。
最後の3kmは単なるウォーキングです。
鳥越トンネル付近ではふらふらしてまっすぐ歩けず、4時間のペースセッターに抜かれるなどして気分もどん底。
よく、マラソン中継でフラフラでまっすぐ走れずにスタジアムに入ってくる選手が映し出されることがありますが、まさにそんな感じでした。
ただ、
仙巌園で水分補給をした上に、鳥越トンネルの中で体のクールダウンが出来たのだと思います。
トンネルを出たあたりから、比較的早足でまっすぐ歩けるようになりました

上町地区の沿道の応援の方に「メディカルランナー、大丈夫か」との声もいただきながら、何とか完歩いたしました。

昨年よりネットで4分程タイムを落としたものの、順位は逆に500番程上がっていました。
それだけ過酷なレース環境だったのでしょう。
この結果と汗の結晶で自分の顔や首が白くなっているのを見てつくづく実感したのでした。


3回とも気象条件にあまり恵まれていない鹿児島マラソンですが、自然も相手にしなければならないマラソンって奥が深いですね。
今回の経験も糧にして、気象コンディションにもしっかり対応してレースに臨めるよう、次回に向けて日々研鑽を積んでいきたいと思います。

ジョグ第一回から参加している鹿児島マラソンの開催日が近くなってきました。
今年もメディカルランナーとして参加予定で、大会に向けて練習に励んでおります。

休日だと西之谷ダムや健康の森でやることの多い練習も、その大半は平日に仕事が終わってからの診療所周辺のジョギング。
多くの方に目撃されているようで、ここ数日、来院される患者さんに激励の言葉を戴く機会が増えています。
ありがとうございます。
今シーズンの寒さが半端ではなく、思ったような練習ができていませんが、役割を果たしつつ完走を目指したいと思います。

さて、平昌オリンピックも間もなく閉幕します。
いろんな感動のある日々が続いていますが、私が最も楽しみにしている男子アイスホッケーの決勝は ドイツ vs OAR という意外な組合せになりました。
3位決定戦も カナダ vs チェコ なので目が離せません。

はしる第二回鹿児島マラソンが3月5日に開催されました。

スタート直前から雨が降り始め気温が全く上がらないという、天気予報とは異なる気象条件に対応できず、低体温症に苦しんだランナーが多かったようです。
( 昨年も雨の予報だったのに、ほとんど降ることなく気温が上がりましたね。)
そんな中、大会関係者やボランティアの方々も雨にずぶ濡れになりながら仕事をこなし、熱い応援を送っていただいたのには頭が下がる思いでした。
特に救護関係の方々は運ばれてくる人が多く大変だったようです。

今回はメディカルランナーという立場で参加しました。
マラソン自体2回目ですが、メディカルランナーという役割を担って走るのは初めて。
私の守備範囲で救助を要する例はなかったのですが、途中で立ち止まった方に対してかなりの数の声掛けをさせていただきました。

前回大会は直前の故障に泣きましたけど、今回も年末から右大腿部の痛みに苦しみました。
時には歩くのにも不自由するほどで、練習が十分にできませんでした。

大会当日も故障を引きずっていて、一般参加なら無理せずに断念していたと思います。
しかし、メディカルランナーとして名乗りを挙げたからには5kmでも10kmでもお役に立てれば、という気持ちで出場を決意。
登り坂は痛みでまともに駆け上がることができず、33km以降は脚が思うように動かなくなったのですが、最後まで止まらずに完走でき、前回を上回るタイムが出せたのは自分でも予想外でした。

次回こそ、ベストなコンディションで臨めれば、と決意を新たにしたのでした。

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